フェラーリ,ピニン,Ferrari Pinin,1980
- スーパーカーブランド【フェラーリ】 -

偉大な”ピニン”へ捧げる1台 Ferrari Pinin (1980)

「Speed Graphics」は毎月1枚の写真からストーリーを紡ぐ連載。そのクルマが生まれた国、時代背景、歩んだ歴史を綴る。

フェラーリ,ピニン,Ferrari Pinin,1980 Ferrari Pinin (1980) 1900年に第1回が開催されたトリノの自動車ショー。その第58回目が開幕した1980年4月23日、カロッツェリア・ピニンファリーナのスタンドには5台の歴史的名作とともに、1台の新しいコンセプトカーが展示されていた。その美しい4ドアセダンのフロントには格子のグリルと跳ね馬のエンブレム。そしてリアにはこのクルマの名が「Pinin」と印されていた。 カロッツェリア・ピニンファリーナの創業者であるジョヴァンニ・バッティスタ・ファリーナは、イタリア・ピエモンテ州の小さな村コルタンツェで1893年に生まれた。13歳になると兄の経営する自動車ボディ製作会社スタビリメンティ・ファリーナで働き始め、次第に才能を発揮。そして1930年に独立をする。自身の会社には「ピニン・ファリーナ」と名付けた。ピニンとは”小さなジュゼッペ”を意味する愛称”ジュゼッピーノ”のピエモンテ訛りで、ジョヴァンニ・バッティスタは幼少期、父のジュゼッペによく似ていたため「ピニン」と呼ばれていたことから、社名に愛称を加えたのだった。 だから1980年のトリノ・ショーでピニンファリーナのスタンドに並んだ5台のクルマは、創業50周年の歴史を振り返る5台であり、そこでデビューしたピニンは50年の記念に創業者へ贈られたオマージュだったのである。跳ね馬のエンブレムが示すように、ピニンはフェラーリのエンジン、それも当時のフラッグシップである512BBの180度V12エンジンの搭載を前提にデザインされた。これは両社の親密な関係を思えば当然ともいえる。またリアのピラー意外をガラスで覆って隠した、まるで大きなクーペのようなデザインは、ジョヴァンニ・バッティスタが晩年に愛用していたピニンファリーナのワンオフモデル「ランチャ・フロリダ II」との関連を思わずにはいられないだろう。 美しいデザインへの評価が高かったピニンはしかし、フェラーリの4ドアセダンというコンセプトゆえ生産されることはなく、コンセプトカー1台のみに終わった。そして現在に至るまで、フェラーリが公式に4ドアモデルを生産したことはない。 ジョヴァンニ・バッティスタ・”ピニン”ファリーナは1961年、自らの姓をピニンファリーナと名乗ることを政府から正式に認められている。現在では社名も設立当時の「Pinin Farina(ピニン・ファリーナ)」から「Pininfarina(ピニンファリーナ)」へと変更されている。 featured car フェラーリ,ピニン,Ferrari Pinin,1980 Ferrari Pinin (1980) ピニンは後にピニンファリーナから有名なベルギーのフェラーリ・コレクターに譲られた。さらに2000年代に入ってオークションにかけられ、ある好事家の手に渡ると、新オーナーはそれまで展示用で走行できなかったピニンに、初期設計どおりBB用のエンジンと400の駆動系を搭載し、実際に走行できるように仕上げた。その際の技術監修は、かつてフェラーリで活躍したマウロ・フォルギエーリが務めた。 additional フェラーリ,ピニン,Ferrari Pinin,1980 Lancia Florida 2 (1957) ランチャ・アウレリアのシャシーを用いて、ピニン・ファリーナによって作られたスペシャルモデル「フロリダ II」は1957年のトリノ・ショーで発表された。観音開きの4ドアながら、後ろのドアはハンドルを隠しまるで2ドアの大型クーペのような優雅な佇まい。ショー出展後、ジョヴァンニ・バッティスタはこのフロリダ IIをいたく気に入り、自らのパーソナルカーとして乗っていたという。 フェラーリ,ピニン,Ferrari Pinin,1980 Ferrari FF (2011) 2011年にフェラーリは「FF」を発表した。これまでクーペの2+2が最も大きいモデルだったフェラーリにとって、フル4シーターで4WDというFFのスタイルは斬新なアプローチだったため、「もしやセダンまで作るのでは」ともいわれた。しかし昨年フェラーリのCEOに着任したセルジョ・マルキオンネは「フェラーリが4ドアセダンを作ることはない」と発言し、これまでどおり2ドアのみを作っていくつもりのようだ。

Text by Koyo Ono