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第9回 | Jeepの最新車デザイン・性能情報をお届け

ラングラー ルビコン1941──初代Jeepと1941年の深い関係

アメリカ車が苦戦や撤退を強いられる日本市場において、唯一の例外がJeepだ。ブランドのフラッグシップは『グランドチェロキー』だが、日本では軍用車両の面影を残すもっともJeepらしいモデル『ラングラー』の人気が高い。それはヨーロッパも同じだ。Jeepを展開するFCAは今、ヨーロッパでの『ラングラー』人気をより高めようとしている。その起爆剤の意味合いで製作されたのが、ジュネーブモーターショーでヨーロッパデビューを飾ったアイコニックなカスタムモデル、『Jeepラングラー ルビコン1941』である。

車名に込められたリスペクト。Jeepは米軍を太平洋戦争の勝利に導いた兵器だった

このなんともワイルディなカスタムモデル『Jeepラングラー ルビコン1941』を製作したのは、FCA(フィアット・クライスラー・オートモービルズ)のチューンナップパーツ部門であるMopar(モパー)だ。3月のジュネーブモーターショーでお披露目された。

かつてモパーの名はクライスラーのハイパフォーマンスカーを意味したが、現在はFCAの一部門として、Jeepやクライスラーの純正アクセサリーパーツ、レース用のハイパフォーマンスエンジンなどを開発している。とはいえ、いわゆるパフォーマンスパーツメーカーという認識のほうが正しいかもしれない。つまり製品の性能と信頼性が高く、純正パーツとして採用されるほどのデザイン性と仕上がりの美しさを兼ね備えているということだ。

そのモパーによる『ラングラー』のカスタムモデルに、「ルビコン1941」の名が与えられた。「ルビコン(RUBICON)」とは、米国カリフォルニア州にある世界でも類を見ない険しい山岳路「ルビコン トレイル」のことだ。Jeep開発の舞台となっている全長35kmに及ぶ岩の崖で、悪路走破性を高めた『ラングラー』の最上位モデルは「ルビコン」の名をもつ。今回のカスタムモデルのベース車両となったのも、その『ラングラー ルビコン』だ。

「1941」にはもっと重要な意味がある。1941年は、日本人には太平洋戦争が始まった年として記憶されているが、Jeepにとってはそうではない。米軍の要請によって規格外のタフネスさをもつ小型軍用車両として開発されたJeepが、誕生するのとほぼ同時に実戦投入された記念すべき年だからだ。兵士たちの信頼性は絶大で、欧州司令官だったアイゼンハワーは「第二次世界大戦を勝利に導いた兵器」のひとつとしてJeepを挙げているほど。そのJeepへのまさにリスペクト(尊敬)として、「1941」と名づけられたのである。

『Jeepラングラー ルビコン1941』は都市と荒野のボーダーに置かれた存在である

ボディカラーはイエローを基調とし、そこへマットブラックを組み合わせた。ボンネットや側面には白抜きで「1941」とレタリングされている。このコントラストの効いたペイントは軍用車両としてのJeepの世界観ではないが、太いダクトのシュノーケルや2インチのリフトアップ、ロックレールなどは、最近ではめずらしいほどサバイバーな機能だ。

黒いフェンダーとドアシル、黒い給油口ドアなども力強い印象に貢献している。ホイールやシフトノブ、テールゲートなどにも軍用車両としての面影を見ることができるだろう。さらに、Jeepのシンボルであるセブンスロットグリル、マッドガード、オフロードライト、ミラーキャップなど、200を超える『ラングラー』のアクセサリーのなかから選択されたオーセンティックな装備も搭載。これらもマットブラックで仕上げられている。

『Jeepラングラー ルビコン1941』は、100%ストリートリーガルとしてオフロード車用に特別にデザインされたものだが、その完成度の高さから、ジュネーブモーターショーで実車を目にした来場者の多くがカスタムとは信じなかったという逸話がある。機能とデザインの両面から考えると、都市と荒野の境界に置かれた存在と解釈すべきだろう。

コンセプトモデルではなかった。『Jeepラングラー ルビコン1941』は今夏発売予定

ちなみに、『Jeepラングラー ルビコン1941』はショーカーやコンセプトモデルとして製作された車両ではない。今年夏ごろから正式にリリースされる予定で、当然ヨーロッパでも販売されるだろう。『ラングラー』はヨーロッパやアフリカなどの仕向地によって搭載されるエンジンが異なるが、このカスタムは標準モデルではなく『ラングラー ルビコン』がベースだ。従来どおり3.6L V型6気筒エンジンが搭載されるのではないだろうか。

余談になるが、初代Jeepを設計したのは製造会社のウィリス・オーバーランド社でなければフォードでもなく、アメリカン・バンタム社という小さな自動車メーカーだった。設計主任の名は、カール・K・プロブスト。しかし、小規模メーカーのアメリカン・バンタム社には米陸軍から正式に受注する企業体力がなく、結局、米陸軍はウィリス・オーバーランド社とフォードに設計図を渡し、修正が加えられたたうえで初代Jeepが生産されたのだ。なお、アメリカン・バンタム社は、終戦から11年後の1956年に倒産している。

Text by Koji Okamura
Photo by (C) Fiat Chrysler Automobiles
Edit by Takeshi Sogabe(Seidansha)

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