男の隠れ家_2017年2月号
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浪曲の未来を担う 玉川太福が 挑む 新境地

恍惚感──。浪曲師から繰り出されるうなりが三味線の伴奏と絡まり、昇りつめていった時、思わず私を襲った感覚だ。まさか浪曲でこのような感覚に襲われるとは思ってもみなかった。それまで私が抱いていた浪曲=演歌に席を譲った時代遅れの芸能という、今に思えば誠に失礼な概念が覆された。18年前のこと。目の前の舞台にいたのは玉川福太郎だった。

コント作家を夢見た少年がたどり着いた先は、浪曲だった

「うちの師匠は節がダイナミズム、幅がとにかく広く、声量も豊か。声の力が放つ波動で体の芯が痺れる。陶酔感や高揚感がありながらも、節を聴いていてよく『ははは!』って笑ってしまうんです。『うわっ、そんなにいきなり声出すんだ』みたいな(笑)。なんかビックリして無邪気に『おもしれえ!』っていう。それは映画や落語や芝居でも何でも、『そんな体験、大人になってなかったぞ』というのを思い知らされたんです」と師匠の衝撃の舞台を振り返る太福さん。それこそダウンタウンに憧れてコント作家を志し、ユニットを組み舞台でコント演じ、それから口語演劇の世界に転身。それでも自分の目指す道を定められずにいた太福さんが当時出会った俳優の村松利史さんから玉川福太郎を勧められ、浪曲の定席の浅草木馬亭の扉を開けた。そこからの弟子入りは、早かった。「半年です、浪曲の〝ろ〟の字も知らなかったのに。一節もうなれないまま『弟子にしてください』って(笑)。恐ろしいことですよね」

定まらなかった思いと道が、一気に極まる。自分ならこうする、これまで思ってみなかったことが次々と浮かんだ。だが、入門してたったの3カ月。浪曲界を担うはずの福太郎師匠が他界したのである。受け継いだ演題は2席、期間は短いが師匠の優しさと芸への取り組み方が、太福さんを浪曲に向かわせていった。

浪曲は落語と同様に古典と新作があり、太福さんは二刀流。今年は「天保水滸伝」と「清水次郎長伝」の連続読みを始めた。新作は「銭湯激戦区」「自転車水滸伝」の口語演劇時代に培った感覚でつくった作品が定番になっている。シブラク(渋谷らくご)で賞をもらった「地べたの二人」はシリーズ化した。落語や講談のゲストに呼ばれることも多い。

「やっぱり笑いが好きで、『笑ってもらいたい、楽しんでもらいたい』を目指しているので、落語家さんでも講談の方でも波長が合うし、一緒にやった時に、異種格闘技、それこそすごく戦ってる気になれるんですよ」

2016年11月には浅草木馬亭で「浪曲『男はつらいよ』を聴く会」を開催。独演会で客席が埋まるかの心配は杞憂に終わり満席だった。太福さんは登場するとすぐ目の前にあったマイクを取り払った。生声の太くのびやかな声が振動となって聞こえてくる。寅さんの名台詞が自在に節となり、寅さん調になる。客席から絶えず笑いが起こる。つくづくこの声を体感できることを幸せに思った。

浪曲とは?

浪曲師が三味線を伴奏に、節(歌)とせりふ(啖呵)で物語を語る音楽演芸。浪花節ともいわれ、明治時代初期、大阪の芸人・浪花伊助が新たに売り出した芸が人気を博し、演者の名前からそう呼ばれた(諸説あり)。桃中軒雲右衛門や二代目・広沢虎造の活躍で戦前まで全盛となる。浪曲では「一声、二節、三啖呵」「100人浪曲師がいれば、100人とも節が違う」といわれ、屋号や師匠の芸を受け継ぎなら、自分自身の節を確立していく芸能である。