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- スーパーカーブランド【ランボルギーニ】 -

50余年ぶりに甦ったランボルギーニ初の量販モデル

ランボルギーニが1964年に発表した初の量販車『350GT』。この歴史的なモデルを、同社のレストア部門「Lamborghini PoloStorico(ランボルギーニ ポロ ストリコ)」が計約2000時間を費やして完璧に修復し、2016年10月にイタリアのモデナサーキットでその勇姿と走行ぶりが披露された。主たるパーツはオリジナルのものを使い、外装は当時と同じ塗装と技術により仕上げたそうだ。これはランボルギーニの創設者フェルッチョ・ランボルギーニ生誕100年の記念にもなるレストア事業だったに違いない。レストア部門の意地と熱意により、ランボルギーニ初の量販スーパーカーが現代に甦った。

フェラーリに対抗するためにフェルッチョ・ランボルギーニが作ったスポーツカー

『350GT』は、1964年のデビュー当時から傑作といわれたランボルギーニ初の市販モデルである。シートはフロントに2席、リアに補助的な1席を設置。レースよりも公道での走りを重視した優美な2ドアクーペで、世界にランボルギーニブランドを強く印象づけた。
トラクター製造工場を設立し、事業を軌道に載せた創業者フェルッチョ・ランボルギーニが、フェラーリに対抗するスーパーカーを作ると宣言したときは「狂っている」ともいわれたという。しかし、彼は1962年までスーパーカープロジェクトの立ち上げに向けて動き出し、ボローニャから25km離れたSant'Agata Bolognese(サンタアガタ・ボロネーゼ) 村の広大な敷地に巨大で近代的な工場を建築した。

1916年には、「Automobili Ferruccio Lamborghini(フェルッチョ・ランボルギーニ自動車会社)」を設立。ランボルギーニのエンブレムは「暴れ牛」だが、それはフェルッチョが牡牛座生まれだからという説、また、フェラーリの「跳ね馬」のエンブレムに対抗しようとしたなど、諸説がある。

トラクター会社での経験は、スーパーカー製造という目的にも有効に利用され、ランボルギーニは当時の自動車業界では見られない、非常に合理的なシステムを作り上げた。そして、1963年11月初旬、イタリア・トリノで開催されたモーターショーでプロトタイプの『ランボルギーニ350GTV』を発表したのだ。

下の写真は、発表当時のままのプロセスを用いて改装を施した350GTの内装だ。木製ステアリングホイールやブラックレザーは、長い時間の経過による摩耗や劣化を残しつつ復元したという。

スーパーカーメーカーとしての礎を築いた記念碑モデル、ランボルギーニ『350GT』

350GTVの心臓部は、当時最新のエンジンを積んだフェラーリ『250GTO』を制作したジョット・ビザリーニが担当し、フェルッチオの希望どおり、V型12気筒で、4カムの排気量3500ccエンジンを搭載。このエンジンは公称320馬力を発揮したという。サスペンションも、当時のフェラーリがリアはリジッドだったのに対し、4輪ダブルウィッシュボーンとした。

アルミニウムで構成され、独創的なボディラインの350GTVは、そのデザインや性能面、また上質なインテリアなどから一定の評価を得るが、その反面、居住性やGTとしての使い勝手で酷評を受けてしまう。このため、すぐにフェルッチオは改修を指示し、翌1964年、カロッツェリア・トゥーリングにより手直しを受けたボディを纏った市販車としての第1号車『350GT』が完成する。

350GTは1964年3月のジュネーブモーターショーで全世界に発表され、2カ月後には生産が開始された。こうして市販スーパーカーメーカーとしてのランボルギーニの歴史が始まったのだ。

『350GT』は約130台が作られたが、そのうちの1台が、ポロ ストリコの手によってフルレストアされたこの車両だ。ミュージアム・コンディションともいうべきこの車両、果たしてオーナーは乗れるのだろうか。そこが一番気になるところだ。

Text by Katsutoshi Miyamoto