生産台数わずか51台、早すぎた幻の名車「タッカー」
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生産台数わずか51台、早すぎた幻の名車「タッカー」

この姿を見て「古き良きアメ車ってこんなクルマだよね」と、思われるかもしれない。しかし、この「タッカー」は、古き良きアメリカ車のなかでも、特に先鋭的なコンセプトに基づいて製作された特別なクルマだ。生産台数はわずか51台。歴史に埋もれてしまった悲運の名車「タッカー」とはいったいどんなクルマなのだろうか。

T・タッカー氏が夢描いた「理想の自動車」

「タッカー」は、フランシス・フォード・コッポラが監督をつとめた1988年公開の映画『タッカー』のモデルとなったプレストン・トーマス・タッカー氏によって考案された。幼い頃からクルマが好きだったタッカー氏は、自動車のセールスマンやデザイナーを経験した後、自らシカゴにベンチャー企業「タッカー社」を設立。開発に没頭した彼の頭の中には、左右後輪にそれぞれトルクコンバータを備え、トランスミッションを排した斬新な駆動方式など、さまざまなアイディアが広がっていた。

そして1946年、ベンチャー企業を支援する米国政府の施策によってシカゴ市内にある軍需工場跡を借りることに成功すると、「理想の自動車を作り、大量生産をする」というタッカー氏の夢が走り出したのである。
(C)RM Auctions

画期的だった「パッシブセーフティ」の考え

1947年のプロトタイプの製作と発表会を経て登場した「タッカー」は、画期的な仕掛けを満載したクルマだった。大胆なデザインのボディは空力を考えられたもので、巡行性能や燃費の向上にも寄与したという。また、水平対向の6気筒エンジンを米国車で初めてリヤに搭載。パワートレインをリヤにまとめたことで生まれたスペースをフルに活用し、室内は6人が乗れる広々としたものとなった。その車体は、これも米国初の4輪独立懸架方式のサスペンションによって支えられた。
(C)Conceptcarz.com
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また、タッカー氏は安全性にこだわり、ディスクブレーキの採用により制動力を63%向上し、まだ当時は一般的でなかったシートベルトも装備した。衝突時の乗員の安全性を考え、フロントシート前に退避空間を作り、ダッシューボードには緩衝パッドも装着。フロントガラスは内側から外側に脱落する仕様となっていた。さらに、車体のフロント部分は衝撃を緩和させる構造が採用されていた。

これらも米国車初の画期的な装備で、60年以上も昔に、今日では当たり前となっている「パッシブセーフティ」の考えが1人の男によって実践されていたことになる。
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米ビッグスリーが「タッカー」を妨害した!?

しかし、画期的なコンセプトによって作られたこの“早すぎた”クルマは、大反響を得たものの、その後、さまざまな事情によってタッカー社が倒産。「タッカー」の生産は、プロトタイプを含めた51台で終わってしまうのだ。

倒産の原因は、悪評の流布による株価暴落、会社設立の際に公正取引委員会に申し込んだローンの却下があったなどといわれるが、こうした出来事の背後には、「タッカー」を脅威に感じたビッグスリー(フォード、GM、クライスラー)による妨害工作があったとの説もある。とはいえ、事実を知るには資料が少ない。

倒産後もタッカー氏は再起を夢見ていたが、1956年12月、がんにより53歳でこの世を去った。しかし、形として現代に残った「タッカー」の作りの細かさや装備、車体仕様を見れば、きちんとしたものづくりを行おうというタッカー氏の精神が見て取れる。己が道を行き時代に先駆けたクルマを作り上げたタッカー氏に敬意を表したい。
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Text by Tetsuya Abe

Photo by (C)Conceptcarz.com(main)